2017年12月11日月曜日

6年生 モノクロームの中の無限

6年生は、1学期の鉛筆画につづき、2学期は「墨」を使って
モノクロームの表現に挑戦する。
「墨は五色を表す」と言われるように、
水の量によって様々な風合いが表現出来るのが、墨絵の醍醐味である。

でも、本当のところ、6年生にとって、墨絵は楽しいのだろうか?
墨を磨ってつくるにしても、加える水の量をいろいろ試すにしても、
墨の濃さが変わることを体験し、それで何かを描くことは、
果たして普通の水彩画で体験する以上の実感を得られるだろうか?
墨のモノクロームから、実感と感性を得られる活動ってなんだろう?


***

釣りにいくとする。
何時間もかけて、ようやく小ぶりの「鯵」を釣り上げた。
せっかく釣ったから、やはり食べたい。
刺身がいいか、焼くのがいいか・・・
でも、裁いてしまう前に、まずは釣った証拠を残したい。
この大きさと重さと、この生々しい感触と実感を伝えたい。
スマホの写真ではどうも伝わらない。
さあ、どうしたらいいと思う?
拓本するのがいい。
拓本とは、本物に、墨を塗って紙に写し取って記録する方法。
魚を拓本することを「魚拓」という。

***

6年生80名と釣りにいくわけにはいかない。
その日、海から届いたばかりの魚を手に入れよう。
早朝の三多摩市場へ。
学校から自転車で3分のところにある市場だ。

ここには、昨日の今頃までは生き生きと海を泳いでいた魚が、
ついさっき築地から届いたばかり。

なんて生き生きしているんだろう!
今にも動き出しそうな生々しい魚。
図工室に入ると、生魚が並んでいるというのは、
なかなか衝撃的だったかもしれない。


わー! 触りたい!
げー、触りたくない!
いろいろな反応。

まずは、塩でゴシゴシ洗ってから、
さっそく魚拓に挑戦することにした。
筆を通して、感じずにはいられない、
えもいわれぬ感触。

「本物」のもつ力。

指先や掌に伝わる「実感」。

楽しいだけでは済まされない「リアリティ」。

でも、なんだか不思議と面白い。


これこそ、モノクロームの本当の美しさではないだろうか。

墨の塗り加減を変えたり、写す向きを変えて、
魚の本物らしさをとらえよう。
アジ、サバ、カレイ、カマス、イトヨリ、ホタテ
次々にいろいろな獲物(実際に釣ってきたわけではないが)を拓本していく。


すると、そのうちに
「こっちのカレイは顔がいい」
「このアジの形が好き」
という細部まで気にし始める子たちが現れる。

「感性」とは、細部の差異を選り分ける力かもしれない。
私には、まったくわからない違いを、
6年生は見極めて選んでいて驚いた。


本物に触れなければわからない感触や実感を得ること、
そして、その感触と実感を残そうという思い、
その中で、モノクロームの無限のグラデーションと、
その価値を感じることができるのではないか。



自分なりに魚拓から湧いたイメージを墨で
描き足してみてもよい。


墨のもつ、モノクロームのもつ力を、
感じ取ることができただろうか。




本物のもつ力に勝るものはない。

教育の現場には、扱いやすさと親しみやすさを考慮してか、
体験キットのような代用品が溢れている。
でも、子供だましではない、本物を使うこと、本物の体験を用意することが、
何より、子供の実感と、主体性を引き出す力になるのだと思う。


***
「さて魚拓を鑑賞しながら、
みんなで魚を洗ってさばいて食べますか!?」
「いいですねー!刺身がいいです」
「いや、焼きでしょ」
「ホタテは醤油とバターで」
「カレイは唐揚げがいいですよ!」

授業の終わりに6年生と冗談でそんな話をしました。
本当に、そこまで出来たら楽しそうですね。

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