4年生の時、校庭を掘って粘土を探した。
夢中になって掘り出した粘土を二週間かけて、砕いたりこねたりした。
5年生の時、硬くなってしまった粘土を土練機で何度も練った。
そもそも、1・2年生の時から、
粘土には何度も造形遊びでかかわってきた。
粘土とは、そうやって時間をかけて付き合ってきた。
粘土が焼けるところを、七輪の上で目の当たりにした。
中休みも放課後も、何度も粘土の様子を見にきた。
途中で割れてしまったもののたくさんあって、
やり直したりもした。
焼けた粘土に、アクリル絵の具で色を塗った。
窯で焼いて、釉薬も自分たちで選んでかけた。
どんな色に焼けるのか楽しみだった。
あとは焼けるのを待つだけだったけど、
新型コロナの影響で休校になった。
それと同時に、学校の陶芸窯が故障してしまった。
隣の小学校の先生にお願いして窯を借りて、
休校中に何度も通って、なんとか焼くことができた。
ほんとうは、みんなで乾杯しようと言っていたから残念だった。
結局5・6年生の最後の授業はなくなった。
残ったのは、みんながつくった粘土の形と
そこに釉薬がつくり出した色だった。
世界はどうなるのだろう?
不安がたくさんある。
新型コロナが日常を奪っていく。
思わぬ形で、僕らの日常は突然変わってしまう。
でも、粘土や、形や色という
「もの」は変わらないものとして僕たちの前にある。
いく時代かが去っても、縄文や弥生の人々の手仕事が、
たとえ破片であったとしても、ずっと後世まで残っていて、
それを僕たちが、今見て感じることができるように、
君たちが土に残した手仕事も、
どんなに時代や社会や、そして僕たち自身が変わっても、
変わらないものとして残っていく。
不易流行。
移り変わっていく世界の中で、
変わらないものとして、形と色と手触りのある「もの(作品)」はある。
それはもしかしたら、僕たちの生きる拠り所になるかもしれない。
生きている証になるかもしれない。
生きていてよかった、と思わせてくれるかもしれない。
だから、これからもつくり続けてください。
上手くつくろうなんって思わなくていい。
つくりたいままに、つくりたいものを。
(一斉休校中の図工室より)